私の手術論918 脳神経外科速報 vol.29 no.9 2019.9.サッカーとウィンドサーフィンに明け暮れた青春1【杉生】今日は,今年のNPO法人日本脳神経血管内治療学会(JSNET)の会長で,僕の大学時代の同級生でもある,久留米大学の廣畑優先生をゲストにお迎えしました.「たってのお願い」と編集部に無理を言って,僭越ながら僕がインタビュアーを務めさせていただくことになりました.【廣畑】「君だけは勘弁して」って言ったんですけれども(笑).まあ,お手柔らかに頼みます.【杉生】僕らの出会いについては,自分の対談(脳外速報25巻11号参照)でもお話しさせてもらいましたが,サッカー部で6年間一緒で,僕がキャプテン,廣畑先生が副キャプテンでした.3年生からウィンドサーフィンも一緒に始めて,昼間はウィンドサーフィン,夕方からサッカーの練習で終わったら飲みに行く,みたいな感じで,年間100日間は海,300日はサッカーという素晴らしい生活でしたよね(図1).【廣畑】まともに授業にも出ていなかったし,ノートなんかほとんど取った記憶がない.いい時代でしたね.【杉生】それで,僕は父親が脳外科医だったので脳外科に進むことは早くから決めていたんですが,廣畑先生が脳外科を目指すきっかけは何だったんですか?【廣畑】5年生のときに学外実習があって,好きな病院に行っていいと言われた.宮崎の日南病院というところに,脳外科の先生が2人いらっしゃって,そこへ行くとウィンドサーフィンができて無料で泊まれて飯付きという話を聞いたので,杉生先生の車にボードを積んで一緒に行ったんです.そこで交通事故を起こした若者が重症頭部外傷で運ばれてきて,先輩が外減圧開頭をしているのを見た.もともと神経系に興味はあったんですけれども,はじめて脳外科手術を見て,「なるほど,こんなことやるんだ」と思いました.【杉生】あれがスタートだったんですね,本当に楽しい1週間でした.【廣畑】そう.下級生のときは何となく精神科が面白いかなと思ってたけど,ポリクリのときの閉鎖病棟での実習で,「これはちょっと俺には無理だ」と.神経放射線科みたいなのもいいかなと思っていたんですけれども,久留米大には放射線科の中に神経放射線というグループがなさそうな感じだったので,「じゃあ脳外科かな」という感じでした.ただ,最初は実は大学に残るつもりはなくて,関東のある大学へ面接に行ったんです.【杉生】えっ,それは知らなかった.【廣畑】「いいよ,来て」って言われたんですけど,帰ってきて,当時の久留米大脳外科の医局長に「すみませんが東京の大学の脳外科に入ります」って言いに行ったら,「お前,そんなところ行ってもすぐどこか飛ばされてひどい目に遭うだけだから,うちに来い.うちだったら,3年ぐらいです図1 5年生時,種子島サーフトリップにて(二人とも勘違いしていた頃).左が廣畑先生,右が杉生先生.
元のページ ../index.html#6