no. 101脳神経外科速報 vol.29 no.9 2019.9. 919ぐニューヨークに留学できるから」みたいな話を何度もされて,残ることにしたんですけれども.【杉生】それで3年目に留学?【廣畑】いや,それはまったくなかった.ず~と関連病院勤務でした.完全にだまされたんですけどね(笑).仕事は責任2【杉生】脳外科医になって,何か将来の目標とかはありましたか?【廣畑】いや,全然なかった,何となく医局の関連病院に行って,どこかで勤務医をするのかな,くらいにしか思っていなくて,将来のことはあまり考えていなかった.「なるようにしかならんよね」くらいでした.【杉生】いつ頃からモードが変わったんですか?【廣畑】いや,そこは仕事なので.仕事には責任がありますから,それに関してはすごく真面目になった.小さな医局だったし,昭和の時代だったし,そんなに教育もしてくれなくて,当時はほとんどほったらかし状態.「はい,これ,お前の患者」とだけ言われて何のサポートもしてくれないので,「これは自分がしっかりしなきゃ患者さんが死んじゃう」みたいな感じでした. よく覚えているのは,1年目に,VA-PICAの破裂動脈瘤で運ばれてきたおばあちゃん.「後頭蓋窩だから慢性期に手術しよう」ということになって様子をみていたんですけれども,もともとあった腎不全が急に悪化して代謝性アシドーシスになってしまった.当時まだ経験はなかったんですけれども,見よう見まねで挿管をして人工呼吸器につないでみたいなことを一人でやりました.それでも血圧が下がってきたので,今度はIVHとってドーパミンを入れてと一晩中あれこれやっていたら,何とか一命は取り留めました. 家族の人からはすごく感謝されて「ありがとうございます」と言われたんですけれども,こんなことしかできなくて申し訳ない,もうちょっとちゃんとした医者にならないと,とそのときに思いましたね.【杉生】その患者さんが今の「廣畑優」を作ったということですね.その当時は,1年目から血管障害とか腫瘍とか分かれていたんですか?【廣畑】当時は先々代の倉本進賢先生が教授で,研修医の頃,スケボーで病院に行っていたって本当?(杉生憲志先生より)【廣畑】本当.学生時代からそうで,医者になってからもしばらくそうでした.今考えると,バカ丸出しで恥ずかしい…….【杉生】学生時代は知っていたけれども,医者になってからも?【廣畑】そう.病棟医長の頃,駐車場で転んで骨折して,先輩から「お前,ばかじゃないか.手術入れないだろう」ってすごく怒られた.それ以来,乗っていません.エキスパートより学会長への11の質問Q1治療で合併症を生じた症例を部屋に貼ってあるって本当?(松丸祐司先生より)【廣畑】本当.貼らないと忘れちゃうので.最初は発表ポスターを貼っていたんだけど,最近は合併症を起こしたらそれを1枚A4にして貼っています.ここ数年間はないんですが.【杉生】それ偉いわ.「ここ数年間ない」というのもすごいね,尊敬!エキスパートより学会長への11の質問Q2
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