私の手術論1246 脳神経外科速報 vol.29 no.12 2019.12.野球少年が一念発起,東大理Ⅲを目指す1【野崎】本日は,東京大学脳神経外科教授で,医学部長でもいらっしゃいます齊藤延人先生にお越しいただきました.日本脳神経外科学会でも長年,要職を務めておられて,現在は常務理事・総務委員長を担当されています.今日は,齊藤先生の人となりも含めて,これからの脳神経外科および脳神経外科学に対する展望を伺いたいと思います.最初に,先生はどちらのご出身ですか?【齊藤】千葉県です.父親の仕事の都合で,2年に一度くらい転校していて,小学校低学年の頃は館山にいました.南国の雰囲気があって,夏はそれこそ海水パンツ一丁で家から走って海まで行き,泳いだり魚をとったりしていて,非常に良いところでしたね.先日の台風15号で大きな被害があったそうなので心配ですけれども.【野崎】活発な少年だったんですね.何かスポーツはされていたんですか?【齊藤】小学校のときに剣道を始めて,中学でも最初,剣道部に入ったんですけれども,田舎のほうの中学に転校することになり,そこには剣道部がなかったので,野球部に入りました. そういう感じで,あまり勉強する環境にはなかったんですけれども,高校受験の頃に近所に東大理Ⅲの人がいることを知って,「格好いいな」と思いました.高校では,自分が甲子園に行くのは無理だろうから勉強を頑張ってみようと思い,一念発起しました.医師という仕事は,生命科学という最先端のものが扱えるし,人の役に立つこともできるし,いろいろな要素が詰まった魅力のある分野だなと思って医学部に入りました.【野崎】当時の東大はどんな雰囲気でしたか?【齊藤】入学して最初に思ったのは,「関西弁の人が多いな」ということ.やっぱり1/4が灘高ですからね.関東の人の中にも,関西弁でしゃべり出す人がいたほどです(笑). 野崎先生が通われた京都大学も同じだと思うんですけれども,東大も自由な感じがすごくありましたね.学生も好きなことをしているし,教官のほうも自分の研究成果を一生懸命学生に講義されていた.時々,難解で何を言っているのか分からないときもありましたけれども(笑).【野崎】私たちの頃は授業出ている人は10人ぐらいしかいなくて,みんな試験だけ受けに教室にくるような感じでしたが,先生方はいかがでしたか?【齊藤】同じですね.2割くらいの出席と言われていましたが,私もあまり出ていなかったのでよく分からない(笑).いまは少なくとも8割は出席していますから,逆転していますよね.【野崎】数ある診療科の中から,脳神経外科を選ばれたのはなぜですか?【齊藤】大学に入ったときから,「自分は内科系ではなくて外科系だろうな」と思っていました.救急医療がやりたかったんです.大変な人が目の前に来て,それをわいわいがやがやどたばたとやって,とにかく早急に解決するという分野がやりたかった.なので,卒業にあたり進路を考えたときに,脳神経外科と心臓外科と救急部と,この3つでどうしようかなと悩みました.3科の中でなぜ脳神経外科かというと,これは教室の雰囲気ですね.当時は,脳神経外科が一番しっかりしているように見えましたし,先輩方も層が厚くて良いトレーニングを受けられるだろうなと感じて,この科を選びました.
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