no. 103脳神経外科速報 vol.29 no.12 2019.12. 1247「大人の仕事」を学ぶ2【野崎】若い人たちはおそらく,先生のような方が何を目標にして,どんな思いで研修医時代を過ごしたのか,知りたいのではないでしょうか.当時で何か印象に残っていることはありますか?【齊藤】研修は,最初厚生年金病院,その次が東大病院で,それぞれ半年ずつでした.我々の時は同級生が10人ちょっといて,1年目に必ず東大を回るということになっていましたので,半分に分かれて回ったんです.当時は「ちゃんとプレゼンできるのか」だとか,「受け持ちの患者さんのことをしっかり把握してケアできるのか」ということに必死でしたね. 2年目は地方に行くことになっていて,私は富士脳障害研究所附属病院(富士脳研)だったのですが,そこで教わったことがすごく強烈でした.【野崎】富士脳研は東大若手脳神経外科医の「虎の穴」として有名ですね.どのような研修だったのですか?【齊藤】富士脳研は単科病院ですので,何でも自分でやらないといけない.それまでは,「多くの優秀な先生たちがいる中での自分の役割」を考えていればよかったのですが,2年目からいきなり自分が前面に立たなくちゃいけなくなるんですね. そのような環境の中で,当時の部長のある先生は,とてもユニークでものすごいエネルギーを持っていらっしゃいました.必要なことは,「えっ,こんなことしちゃってもいいの?」というぐらいまで踏み込んで,いろいろな垣根を越えて徹底的にされるんです.戦い方を熟知していると言えばいいんでしょうか. 先輩から聞いたエピソードですが,この先生はある野球チームのファンで,中継で話していたアナウンサーのコメントが気に入らなかったようなんです.そうすると,いきなり放送局に電話をし始めた.それで,何を言うのかと思ったら「あの発言がとても良かったからほめたい」と言って取り次いでもらったんですね.いきなりクレームだとつないでもらないので.それで入っていって,つながった途端に非常に激しい言葉を投げつけるようなことをされたそうです.あまりほめられた行為ではないですけれども,「そのくらい積極的に行動すると達成できるものもある」と,その時1998年正月の医局の集合写真.中央に当時の教授の桐野高明先生,その右が助教授の佐々木富男先生,左が川合謙介先生.前列右端が齊藤先生.
元のページ ../index.html#7