130082009
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大学では違うことをやりたいと思っていたので,軽音楽部に入り,ロックからジャズまで何でもやりました.小さい頃からピアノを習っていたので,キーボードの担当でした.アルバイトは塾の講師をやっていました.東京では駿台予備校に通っていたんですが,数学の秋山仁先生や物理の坂間勇先生,英語の伊藤和夫先生といった講師陣の授業は本当に衝撃的だったんです.今まで読んでいた教科書や使っていた公式の見方が変わるという経験をして「教えるということはすごいことだな」と実感したので,アルバイトも兼ねて,ずっと数学の講師をやっていました.【吉村】もともと教えることが好きなんですか?【石井】好きになりましたね.しゃべるのは得意ではなかったですし,人前で話したりするのも苦手意識があったんですけど,やっているうちに楽しくなりました.【吉村】脳神経外科との出会いはどういうきっかけですか?【石井】最後,形成外科と脳外科でどちらにするか迷っていたんですね.形成外科は当時,有名な教授がおられて,口唇形成や乳房形成をすごく上手にされるのを実際に見て,素晴らしいと思っていました. 一方の脳外科は,当時は菊池晴彦先生(現・神戸市民病院機構名誉理事長,図1)が教授.京大の脳外科は,手術室ではみんなあまりしゃべらないんですよ.静かに黙々とやっている雰囲気と,モニターで見えるきれいな術野がとても魅力的に映りました.最後の決め手は,菊池先生のひと言ですね.学生の勧誘の集まりで,みんなが菊池先生を取り囲んで座っていた.そのときに私が,「先生は再来年退官と伺っているんですが,退官後はどうされるんですか?」って聞いたんです.菊池先生は,「私は脳外科医にまったく未練はない.好きな旅行でもして,できたらネパールあたりでタクシーの運転手でもやりながら放浪してみたいですね」と言われた.その言葉にしびれて,最後に菊池先生から「私のところに来なさい」と言われて決めました.ご存じのとおり今でも働いておられて,実際はまったく違ったんですけれども(笑).【吉村】そういう,ハートを射抜くような菊池先生の一言に影響を受けた人は多いようですね.それで京大脳外科に入局されて,最初はどうでしたか?【石井】最初の1年間は京大病院で,菊池先生の最後の年でした.自由な6年間を過ごしていたのが,体育会系の雰囲気に環境が激変してしんどかったですね.石川正恒先生(現・洛和会音羽病院正常圧水頭症センター所長)が助教授で滝和郎先生(現・康生会武田病院理事・脳卒中センター長)と永田泉先生(現・小倉記念病院理事長・病院長)が講師,その下には宮本図11996年3月,教授室前にて.入局のご挨拶に伺い,一緒に撮っていただいた.菊池晴彦先生と光藤和明先生との出会い2脳神経外科速報 vol.30 no.9 2020.9. 931

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