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2今日、保健・医療・福祉を含むヘルスケアは大変化とイノベーションの渦中にあります。また疾病予防、健康増進、健康長寿に対する関心も世をあげて抜き差しならない状況です。寿命が世界最高レベルで長くなるにつけ、いかに生きたらいいのか、はたまたいかに死ぬべきなのかという深くて難しい難題が首をもたげてきます。ヘルスケア分野で活躍されている方々は、このような問題意識を持ちながらも、時々刻々イノベーションの成果を活用し、自らも周りに対して変化の種を撒きつつ、意識するとしないに関わらず、イノベーション活動に関与しています。ところが保健・医療・福祉サービス分野のイノベーションは大変見えづらいものです。医薬品、医療機器をはじめ医科学の先端技術の萌芽が関わり、複雑な制度の変更、そして普及のプロセスは素人目には見えないものです。そもそもヘルスケア分野のイノベーションの姿の全体像は、まだ誰も見たことがないのです。イノベーションは重要なテーマですが、医療管理や看護管理の教科書はおろか、各分野の専門書では詳述されることはほとんどありません。なぜなのか。そこには3つの理由があります。1つ目の理由は俯瞰する視点に関わります。研究者の世界では、あまりにも狭く専門分化しすぎて、専門分野をまたいで創発している広大無辺のヘルスケアの世界を俯瞰する視座が知らず知らずのうちに後退してきました。2つ目の理由は産業の変化にあります。従来のイノベーションはどちらかというと製造業中心に分析されてきて、「サービス」に分類されるヘルスケアに対する洞察が後手後手になってきたからです。3つ目の理由は、イノベーションという現象の複雑性にあります。つまり、複雑なイノベーションという現象をシステミックに俯瞰するためには、複雑性に対応するための「特殊なレンズ」が必要です。細切れに細分化された特殊な専門の世界では、これらのレンズの装着が遅れてきました。いずれにせよ、本書は、以上のような問題意識を出発点として、人類史上初めて突入しつつある超高齢社会のヘルスケア分野で創発しているイノベーションを俯瞰的に描写します。しかしながら、傍観者の姿勢にとどまることなく、実践を支援するために、イノベーションに繋がるかもしれないちょっとした変化の興しかたかたを、本書独自の方法論=システミック・デザイン思考として紹介します。医療や看護の世界には、専門分野ごとに守るべきガイドライン、手順、基準、標準がやたら多く存在します。多忙な仕事に追われつつ、あらかじめ細かく決められた枠組に自らの発想と行動を当てはめることは、しばしば想像性、創造性、遊び心、そしてイノベーションの減退を招きます。そういった前例、形式、過去のシステムを、部分的にせよ、大胆に否定し創意工夫することから自分自身の、そして周囲の変化、イノベーションの萌芽が胚胎されます。 さて、表紙のキャッチにあるように「生き残り戦略」というと、どうしても医療機関単位の話となってしまい、2年に一度改定される診療報酬制度のポイントを読み込み、目先の医療経営や看護経営にいかに効果的に反映させてゆくのかというテーマに終始しがちです。いわゆる政策分析と経営というフレームワークです。 本書では、そのような旧来的なよくあるスタンスはあえて取りません。そうではなく、もっと深い位相、すなわちイノベーションに注目します。ただ単に身近な制度変更や改定に経営や働き方を合わせるのではなく、もっと根本的な位相でイノベーションに対応し、イノベーションを興すことによってエコシステム(生態系)の中で独自のニッチ(居場所)を創り上げる──組織も個人も──が重要です。イノベーションに繋がるかもしれない変化を興す。イノベーションの成果を取り込む。異なる分野や文脈に積極果敢に頭を突っ込み、引っ掻き回してみる。いずれにおいても必要なものは、「越境型知性」と遊びこころです。本書では、そのような知性と構えを誰でもが体得できるように「異界文脈越境による文脈価値転換モデル」として一般化します。さらに最終章では、イノベーションの創発に繋がるであろう価値共創のためのツールを、実例を交えながら公開します。言い方を変えると、本書は、医療看護を中心としたヘルスケア・イノベーションの理論、実践、そして両者を取り結ぶ、ある種の知恵、賢慮をテーマにしています。本書は、ヘルスケアの世界に棲息してきた筆者とこの世界で邂逅した多くのプロフェッショナルな方々との刺激に満ちた議論や洞察に多くを負っています。こうした議論や洞察を一冊の書物に昇華することができたのは、メディカ出版の猪俣久人氏との価値共創の賜物です。改めて感謝の意を記すことにします。2017年7月 清里の森にて 松下博宣はじめに
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