基礎助産学ⅠⅠ 助産の基本となる概念と変遷、基本姿勢10難易度…助産の変遷Ⅰ-Ⅰ-1 助産の基本E 日本・諸外国の助産・助産師の変遷★問3 わが国の助産師制度の変遷について正しいのはどれか。1.江戸時代は、「腰抱き」が助産の仕事を行った。2.明治時代の産婆は、教育を受けずに助産や妊娠・産褥の処置にあたった。3.大正時代の産婆は、産科医とほぼ同様の業務範囲の仕事をしていた。4.大正から第二次世界大戦前までは、地域で開業した産婆の全盛期であった。5.公的に「助産婦」の名称が使用されたのは、保健婦助産婦看護婦法であった。1 .腰抱きの出現は平安時代である。当時のお産は坐産で、産婦の背後から産婦の腰を抱きかかえて介抱したことより腰抱きと呼ばれた。高貴な人のお産に立ち会う女性を称すもので、職業として扱われてはいなかった[医心方]。平安時代の日本最古の医学書で述べられた。2.明治元年の[太だ政じょう官かん布ふ達たつ]、明治7年[医制]発布、明治32(1899)年[産婆規則]制定により、産婆の教育が整えられた。医制により産婆は免許制となり、業務範囲が法的に決定され、産科医との区別が明確にされた。3.大正時代の産婆は、大正12(1923)年の関東大震災で[巡回産婆事業]を行い、助産以外に公衆衛生活動も行った。4.大正時代から第二次世界大戦前まで、国の方針は「産めよ殖やせよ」であり、また家庭分娩が主流であった。産婆は開業産婆として自分の開業地区をもち、自立して活動していた。5.昭和17(1942)年の[国民医療法]で、公的に初めて「助産婦」の名称が使用された。昭和23(1948)年公布の保健婦助産婦看護婦法(平成13(2001)年、保健師助産師看護師法に改題)で、産婆は助産婦に改称された。 ▶答え[4]●太政官布達 明治元(1868)年 産婆は人命に関わる重要な仕事であるとして、売薬の世話や堕胎を禁止事項とし、処罰を規定した(産婆取締規則)。国が産婆を[職業]として認め、布達した最初で、近代産婆の出発点である。●医制 明治7(1874)年 産婆の免状は、「[40]歳以上で、「婦人小児の解剖生理及び病理の大意」に通じていること、かつ[産科医が出す実験証書](産科医の目前で平産[10]人難産[2]人を取り扱ったもの)を所持する者を検して与える」とした(第50条)。●産婆規則 明治32(1899)年 産婆の営業は産婆試験に合格し、満[20]歳以上の女子で産婆名簿に[登録]した者。3年営業しない時は名簿の登録の取消という、いわゆる[業務免許]であった。産婆から助産師への転換の経緯や第二次世界大戦終了を契機とした出産場所の変化を理解しよう。基本
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