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 少し歴史を振り返ってみよう. 今から100年以上前,明治から昭和初期にかけての紡績産業を支えた若い女性労働者(女工あるいは工女)の多くは貧しい農村からの出稼ぎであり,彼女たちの労働条件・環境は劣悪の一言であった.1910(明治43)年に当時の農商務省は内務省(今の厚労省を含む)と共同で「各工場出稼工女の保健衛生に及ぼす影響」を調査し,併せて結核の罹患と死亡についても全国調査を行った.以下にその結果の一部を示す.1.女工数:約50万人(20歳未満30万人,20歳以上20万人)2.村落からの出稼ぎ者は毎年20万人だが,うち12万人は故郷に戻らない.帰郷できた者も体をこわし結核となって長生きせず,あるいは家族に結核を伝播させる例が少なくない.3.結核について(1)疾病による解雇者・帰郷者の半数以上は結核による.(2)紡績に従事している者の死亡率は一般の5倍以上で,結核死が極めて多い.(3)女工を工場に送った村落の結核死亡者が増加している.(4)わが国の女工の死亡推計:総死亡者9,000人のうち結核死亡者6,300人,さらに,そのうち肺結核死亡者3,600人,肺結核以外の結核死亡者2,700人というすさまじい状況である.当時もこの紡績工場の女工の結核の実態は,関係者に衝撃を与えた.1916(大正5)年には工場法が施行されて労働環境の改善が図られ,さらに,1919(大正8)年には結核予防法がつくられ,施行されたのである. このように何らかの健康問題に対して,これを個々の患者・被害者の個人的な問題として対処するのではなく,ある集団全体の問題としてとらえ,その集団における発生状況を調査し,その結果に基づいて,法律などを通じて対策を講じ,さらにその健康問題の発生自体を予防しようとする営みが,公衆衛生の原点といえる.それは,感染症に限らず,生活習慣病や児童虐待などにおいても全く同じである.はじめに

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