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 マスメディアの発達やインターネットの普及などにより,現代社会の情報環境は格段に発達してきているが,普段,私たちは定型的な日常生活の反復の中に埋もれ,自分が生きている社会(あるいは世界)を全体として反省的にとらえ直すことはあまりない.しかし,例えば戦争や犯罪,事故や災害,新種の感染症など,大きな事件や特異な出来事が連続して起きると,「いったい私たち(この社会)は,いまどこにいて,どこに向かっているのだろう」と,そこはかとない不安にかられるのも事実だろう.また,そのような大きな出来事でなくても,日常生活のなかで遭遇するさまざまな場面やささいな出来事に対して違和感や疑問をもち,「これって何だろう,なぜだろう」と立ち止まって考え込むこともあるだろう. 実は私たちが出遭うこうした大小の出来事は,現代社会のあり方をとらえ直す機会でもある.本章では,こうした気付きにつながる現代社会の特徴と,そこにおける主な社会変動について考える.果たして私たちが生きる社会はいま,どのような地点に達し,どこに向かおうとしているのだろうか. しかしその前に,まずは「社会」とは何かについて考えておこう. 1私たちはいま,どこにいるのか 私たちはよく,「社会」という語を「世間」という語に置き換えて用いることがある.それはなぜなのか.そもそも「社会」と「世間」は,同義語なのだろうか. 実は社会という日本語は,1885(明治18)年に東京日日新聞の主筆であった福地源一郎が, 英語のsocietyの訳語として造語したのが起源とされる.当時は近代国家にふさわしい憲法制定と国会開設に向けて, 欧米の近代思想を積極的に摂取した政治運動が活発に展開された時期であった.一方,それまでの日本の伝統社会で「社会」に最も近く,一般的に用いられていたのは,「世間」あるいは「世の中」であった.「世間体ていが悪い」「世間に出る」「世間の荒波にもまれる」「世間を知らない」など,「世間」は元来,共同体の外部を指す語であった.こうした「世間体」をはじめ「世間」という語がいまだに広く用いられているのは,近代化を経てそれまでの共同体が解体・変容した今日でも,日本社会に伝統的な社会規範が残存していることを示している. 一方,西欧的な「社会」(society〔ソサエティ,英〕,gesellschaft〔ゲゼルシャフト,独〕,société〔ソシエテ,仏〕)の語源は,すべて「結合する」という原義に由来し,元来,内部(仲間内)を指す語であった.そこには,協会,学会,社交界,交際などの語義が見いだせる.もちろん結合する主体は個人一人ひとりであり,「社会」とは個人の集合を意味した. しかし,日本の古語や中国起源の外来語には,「個人」という言葉は存在せず,世間の構成員としての「世の人」という言葉しかなかった.西欧のindividual(これ以上分割することのできない単位の意)の訳語としての「個人」は,前述の「社会」の語と同様,明治期に誕生し,その後少しずつ定着したものである. 2「社会」の意味伝統社会traditional society.近代化が進む以前の社会の総称.市民社会civil society.市民革命と産業革命によって成立した,身分制社会から解き放たれたブルジョア的市民社会のこと.14

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