7私が老衰に関心を持った理由序章生だよ」とか「苦しまずいけてよかった」というようなことをおっしゃる方が多かったのです。思い出話の輪に加わったある時は、患者さんが亡くなられた直後に、「先生もお茶でも飲んでよ」と言われ、大人数の家族が、ご遺体の脇で車座になってお茶を飲みながら語り合っているところに同席させていただいたこともありました。その輪の中では、患者さん本人の思い出話をしながら、時折、静かな笑い声も聞かれました。家族自身は悲しみがないわけではなかったと思いますが、悲しむだけではない、本人を讃えるような、そんな“よい看取り”があったように思います。自分もこのように最期を迎えられたら幸せだろうなと感じました。また、私が知らなかった患者さんの歴史を聞けることは非常に意義のあることでした。患者さんがひとりの人であり、妻であり、母であることをあらためて認識でき、患者さんをひとりの人としてみることの重要性を教えてくれた機会でもありました。老衰と診断することへの迷い在宅医療を続けていく中で、老衰という診断に迷うことも次第に出てきました。他に疾患もなく、緩徐な経過で食事量やADLが低下してきているような、まさに典型的な老衰という方は迷うことも少ないのですが、必ずしもそのような方ばかりではありません。どこかで引っかかる部分があり、本当に老衰としてしまってよいのであろうか、と思う方も時々いました。そのような時は、「どこまで検査して病気探しをするべきなのか」「容易に状態が改善するような原因を何か見逃してないか」などと迷うこともありました。病院で老衰と診断され、自宅に看取り目的で帰ってきたが、抗精
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