1970年第1章在宅医療の歴史──生活モデル医療を求めて8医療機関での治療が普及疾病構造と治療の場所が変化第2次世界大戦直後の1947(昭和22)年、日本人の死亡原因として最多の疾患は結核で、次いで肺炎、脳血管疾患という順位でした(『平成30年 我が国の人口動態』より)。この時代に地域医療を実践していた先駆者が、戦時中の1945年3月に長野県の佐久病院(現・佐久総合病院)に外科医長として赴任した若月俊一医師です。若月医師は戦後まもない同年12月に出張診療活動を始めました。自らの健康状態を顧みず働き続け、手遅れとなる農民があまりに多かったからです。結核による死亡は治療薬の開発・普及によりその後急激に減少し、1951年には死因の第2位でしたが、現在は30位前後を推移しています。代わって死因の上位にがんや心疾患が登場するようになります。このことは、戦後、わが国の疾病構造の中心が感染症から生活習慣病に変化し、感染症の時代国民医療費▶2.5兆円(70年度)平均寿命▶男性69.3歳、女性74.7歳高齢化率▶7.1%1970年代まで
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