2019年12月に中国で発生した新型コロナウイルス感染症は、2020年12月が過ぎ去ろうとしても収束する気配を見せていません。市民の中にジワリと腰を落ち着かせ、浸透しています。改めてカミュ『ペスト』を読みました。「誰もがめいめいのうちにペストを持っている。なぜかというと世の中に誰一人、その病気をまぬがれる人はいないのだ。健康とか無傷とか何なら清浄といってよいが、そういうものも意思の結果で、今日では誰もがペスト患者になっているのだから。しかしまたペスト患者でなくなろうと欲する若干の人々は、死以外にはもう何者も解放してくれない極度の疲労を味わうのだ」。(宮崎嶺雄訳、新潮文庫版)2020年3月、コロナ感染を受け入れている病院から、がん患者さんが38度の発熱の状態で退院してきました。私たちは完全防御で訪問を開始しました。家族は日常性の中で私たちを迎え、何ら感染防御もしていません。その後、安らかな看取りができましたが、訪問する私たちは完全防御し、家族は日常生活の中にいます。その意味するものは何であったのでしょうか。日常生活の中に存在する在宅医療が特別な医療に転化してはならないのです。その後のコロナの感染状況の中でも在宅医療は継続します。そのシーンは何ら変わることなく、コロナ感染の鑑別診断は、単に私たち在宅医療を行う者にとって必要ですが、在宅で暮らす最期の段階にさしかかった人にとっては、そんなことはどちらでもよいのではないでしょうか。考えてみれば家で病気を治すことを妨げているのは、こうした私たち医療者の常識でしょう。この常識の転化には、多くの時間を必要としました。大学病院等の救急救命センターを掛け持ちする外科医が私の医師としてのスタートでした。脳卒中やがんの患者さんの「命を救う」ために手術をし、経管栄養やバルーンカテーテル、点滴といった大病院ならではの治療を行い、その後も様々な病院で医療に携わりました。もっと地に足をつけて地域医療に取り組みたいと思い、1990年に国立市で新田クリニックを開院しました。本書に登場する三上看護師長は、開院当初からの悩みを共有する仲間です。そして今、宮﨑副院長もその志を受け継ぎ、思いを共有しています。1990年代前半、他の病院を退院した患者さんを訪問した時、自宅でも入はじめに
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