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5鏡に関する教科書を出版した。生殖医療やマイクロサージャリーでも知られるGomelは、1977年に腹腔鏡の重要性を指摘した2)。その後しばしば来日し、日本の生殖外科への貢献も大きい。キール大学のSemmは1981年に内視鏡下に虫垂切除を行い、婦人科疾患への応用を開始し、腹腔鏡下手術の先鞭をつけ、日本からも多くの医師が留学した3、4)。腹腔鏡下子宮全摘術は1989年にReichにより初めて実施され5)、広く世界で実施されることになった。1990年代には来日して腹腔鏡下手術のデモを行い、日本国内における普及に功績を残したものも少なくない。国内においても、1970年前後には既にculdoscopyや子宮鏡の導入が生殖領域で開始され、採卵への応用も試みられていた(図2-1)。1973年6月24日には、札幌において、「骨盤内視鏡のつどい」が故 山本 浩先生の司会で開催され、27名が参加した。その折、故 林 基之東邦大学教授がコルポスコープを除くすべての産婦人科内視鏡を対象とする「産婦人科内視鏡研究会」の発足を提案し、故 杉本 修大阪医科大学教授を会長に選出した。この27名による会合が、日本の生殖外科、日本産科婦人科内視鏡学会の源流と言うことができよう。日本産科婦人科内視鏡学会のあゆみ█ 1発 足先に述べた「骨盤内視鏡のつどい」を受けて産婦人科内視鏡研究会(発起人:林、山本、杉本)が発足し、杉本会長のもと、第1回研究会が可世木辰夫会長により1973年10月に名古屋にて開催された。その後1984年、第22回研究会で坂元正一会長(東京)が研究会の発展に伴い名称変更を提案し、研究会から学会に名称変更して日本産科婦人科内視鏡学会(Japan Society of Gynecologic and Obstetric Endoscopy;JSGOE)となった。2007年には生殖外科学会と統合し、2013年4月1日には一般社団法人となり、体制を充実させ現在に至っている。学会会長は、長年にわたり杉本 修先生が務められた。ちなみに、その功績を称え杉本賞が創設され、内視鏡の進歩発展に寄与した者が表彰されている。学会の理事長制移行に伴い、初代岩田嘉行先生(1997〜1999年)生殖外科総論2生殖外科の歴史第1章図2-1骨盤鏡とその使用器具久保春海先生(東邦大学)による骨盤鏡下採卵操作(1972年)

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