5第1章新しい総論する手法であると説明されています. NBMは患者さんとの対話と信頼関係を重視し,自然科学である医学だけでは取り込めなかった人文科学的要素から患者さんの悩みや苦しみを癒そうとするものです.ポストモダンの時代において大きな物語は失われました.すべてのことに意味がないことはわかってはいます.それでも人間が生きていくうえで個人や小さな共同体において,虚構にすがることは重要ですし,病気や死生観が立ち上がってくる場面においてはますます物語としての虚構の重要性は増しているのでないでしょうか. 生きていくことの意味は何なのか,自分が病気で苦しんだことの意味は何だったのか,障害を乗り越えて頑張っていく希望を持つための動機,死の意味を理解するための物語など,医療への納得や生活の質の向上,死の受容においては個人や共同体の物語は重要な役割を果たします.そのナラティブの担い手として医師も多職種の力を借りて役割を果たしていかなければなりません.とすればわれわれ脳血管外科医もそういった役割を果たせるような哲学といったものや,いろいろな場面で虚構を使い分ける技術を身につけておかなければならないでしょう. もう一つ大事なのは,患者さんに最終的に何をもたらすことができるのかということです.人間心理には「ピーク・エンドの法則」というのが備わっていて,経験の持続時間は無視して「ピークの瞬間と,最後の瞬間だけ」を思い出し,両者の平均に即して全体の経験を査定することがわかっているそうです. 例えば治療で「長く楽な状態が続き,最後にわずかな期間だけものすごく苦しい状態で終わ納得した治療を受けてもらえるためにる」よりも「つらいことが長く続いても最終的に強い幸福感がある」ほうが,より望ましい経験であったと最後には評価が高くなるのです.終わりよければすべてよしと言われますが,納得する医療を提供するには,全体での満足と労苦の総量で考えるのではなく,ピークの苦しさと治療の参照点と呼ばれる最後評価時点(つまり退院のときや,リハビリのあとになるわけでしょうが)における満足の状態の2点の平均をいかに高くしてあげられるかを考えることが大事になります. 積極的な病気の治療という価値観を弱めたケア中心時代の外科手術の選択は,虚構ではあるものの手術までの過程やその後の事象を十分に納得できるような物語を一緒に提示したうえで行われるようになってくると思います.しかし,患者さんがその後どれだけ生命を永らえるのかなど不確実なことも多くあります. くも膜下出血なら治療しなければ救命できない可能性が高いですが,脳梗塞ならt-PAや血栓回収を諦めても,よりADLの悪い形で生活が続いていくこともあります.また患者さんや家族の治療結果の参照点は,おそらく死の少し手前であることが多いでしょうが,それがいつになるかはわかりません.高齢者の良性腫瘍などで「死ぬまで大丈夫」と言われていたのが,
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