402380311
2/10

序 文4改訂2版「超」入門脳血管内治療 早いもので『「超」入門 脳血管内治療』を出版してから6年が経過した.この6年間で脳血管内治療が劇的な変化を遂げたことに疑問の余地はない. まず,何と言っても「急性期再開通」がグレードAエビデンスとして確立されたことである.これほどのスピードで標準的治療となるとは誰が予想しただろうか.脳神経外科医にとって,グレードAエビデンスを持つ外科治療と言えば,症候性頚動脈狭窄症に対するCEAや破裂脳動脈瘤クリッピングなどで,内科治療であればtPA静注療法などであるが,これらの治療と急性期再開通治療が有効性において同レベルとなる時代が来るとは,初版を執筆した2012年当時は夢にも思わなかった.そのため,初版では1ページも取り上げなかったが,今や,再開通治療は適応患者に施行,あるいは施行施設に転送しなければ,訴訟となり得る治療である.このような時代が来ることを宮本 享教授はおそらく見越されて,この6年間で京都大学同門のほぼすべての関連病院に脳神経血管内治療専門医の配置を既に完了された.また,今後法制化されるであろう「包括的脳卒中センター」の候補病院すべてに指導医の配置も完了している.さらに,脳神経外科専門医と脳神経血管内治療専門医を必ず取得できるように専攻医ローテーションプログラムを綿密に組んでおり,実際に毎年10名近い専門医を同門より誕生させている. このような時代を迎えた今,教授より私に課せられたミッションは「京都大学同門における脳血管内治療手技の標準化」であった.この一環として,2014年には康生会武田病院,2015年には小倉記念病院へ部長として赴任する機会をいただいた.2014年と言えば,ステントレトリーバが日本上陸した年である.再開通治療が普及し始める2014年から2016年の3年間,この2つの超急性期病院で赴任時に感じた問題点は,治療手技が「○○流」や「○○式」という名の下に施され,チーム内で統一性がないことであった.しかも,超急性期という病院の性質の割には,超急性期の再開通治療や動脈瘤治療の成績は必ずしも満足し得るものではなかった.脳血管内治療や脳神経外科手術など技術を伴う治療には確かにartの側面があり,治療スタイルには各術者に相当の裁量があって然るべきである.しかしながら,私が現実に見たものは,「自分の治療スタイル」という名の我流の治療以外の何物でもなかった.赴任後,私はまず「チームの治療スタイル」を確立させるために,治療手技の標準化に取り組んだ.理論や根拠なき私自身のスタイルの押しつけは避けるように努め,それぞれのチームで育まれてきた優れた点は積極的に私自身の治療にも取り入れた.そして,3カ月ごとに治療成績をまとめて,変更の是非を議論して修正した.その結果,最終的に2016

元のページ  ../index.html#2

このブックを見る