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 目標は人を前向きにします。「今度の同窓会までに3キロ減量する」とか、「40歳までに独立起業する」とか、目標は日々の生活に活力を与えます。もしも認知症の介護で目標を立てようとすると、それはなかなか難しいことだと思います。病気の特性上、もとに戻ることはありません。介護生活は、ながーいトンネルに入ったように感じられ、トンネルを抜けることだけが待たれることもあるでしょう。認知症介護のゴールは、果たして介護されている人があの世に召された時なのでしょうか? 『恍惚の人』(有吉佐和子著)の中に茂造爺が出てきます。徘徊や弄便が著しく、家族(お嫁さん)にさんざん迷惑をかけます。認知症が著しく進行した茂造爺ですが、その晩期においてこのような記述があります。「……彼はよく笑うようになった。口は開けず声も出さず、眼め許もとだけで微笑するのだが、こんな表情は昭子(筆者注:お嫁さん)の知る限りの茂造にはないものであった」。また別の個所では、「超越しちゃったね、お爺ちゃんは」と家族で茂造爺のことを称します。『わが母の記』(井上靖著)の中で、認知症の実母の変化について井上さんは、「後年の二年は体の衰えと共に、老ろう耄もうそのものも何となくエネルギーを失った感じで、頭の毀こわれていることに変わりはないにしても、ひと頃では信じられぬような静かな明あけ暮くれが母の上に訪れていた。その点では母も救われ、息子や娘たちも救われたと言うことができた」と書いています。私は、このような状態に達することが、認知症介護の一つの目標ではないか、と思うのです。つまり、嵐のような激しい症状が過ぎ去って、何とか「病を抜け」て、平穏なゆっくりとした時間の流れに身を委ねられるような日々に到達できることが、認知症介護の目標ではないか、と考えるのです。多くの認知症の方を診てきた経験からいえば、いい介護を受ければ必ず、「病を抜ける」ことができます。 「老年的超越」という現象をご存知でしょうか? 人は80歳代も後半になると、「老年的超越」の境地に達しやすくなることが国際的な研究で知られています。この境地は3つの特徴からなっています。一つは自己中心性が薄らいで利他主義になるということです。いい意味でもともとの自我から離れ、自在にふるまえるようなる。もう一つは表面的な関係に対はじめに2

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